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  • 執筆者の写真Suguru Hasegawa

プロジェクトQ (1) 「生まれ育った証」

更新日:2022年2月27日

皆様、ご覧になりましたか?

今年8月末に続き、また新たに放映された、長岡花火のドキュメンタリー番組。


2021年10月3日(日)13:57~14:56

NHK・BSプレミアム

「夜空を染めた特別な花火~魂をつなぐ 長岡2021夏~」


14:43頃、この「キルトで打ち上げよう! 長岡花火プロジェクト」が取り上げられました。番組全体の中では僅かな時間でしたが、代表の島田さんがプロジェクトを始めた思いや、作品制作に参加された方々の思いを収録したインタビューが、前回8月よりも長く放映されました。番組のエンドロール、作品制作に携わったメンバーの「長岡花火、がんばれ~!」というエールも8月同様に放映され、私たちがプロジェクトに携わっている気持ちや思いを少しでも感じていただけたのであれば、幸いです。


さて、番組でも放映された通り、このプロジェクトには数多くの方々が携わっています。このblogでは、テレビ番組では放映されなかった秘話やプロジェクトに携わったきっかけ、参加しての感想など、プロジェクトに携わった方々の何名かに、お話を伺いたいと思います。


題して「プロジェクトQ」。かつて一世を風靡した某放送局のテレビ番組のタイトルみたいですね。ちなみに、例の番組は「X」でしたが、こちらは「Q」。キルト(Quilt)のQです。


第1回目は、僭越ながら私から。


幼い頃、私が住んでいたのは、長岡花火の打ち上げ場所に近い長生橋(ちょうせいばし)の土手の脇にある、父の勤務先の社宅。木造、平屋の非常に古い家は、毎年8月2日・3日の長岡大花火大会で花火が上がると、花火の爆音と衝撃波で壊れるのではないかと思うくらい、もの凄く揺れました。その代わり、当時は観覧席も今ほど広くなかったこともあり、土手に上がれば無料で花火を間近に体感できる、最高の場所。幼い頃から長岡の花火を観て感じている私にとって、他所の土地の花火は満足できないくらい、長岡の花火は今なお別格の素晴らしさです。


でも、父の転勤で長岡を去ることになり、社宅も老朽化のため取り壊しに。成長した私は、仕事などで上越新幹線に乗る機会が増えましたが、たった5年しか住んでいなかった街でも、列車が長岡駅を通る時には「ああ、故郷に来たんだなぁ」と一人で感慨に浸っていました。


そんな思いを抱きながら、人生の折返し地点を過ぎて「新潟県長岡市出身と公言している割には、何もない」ことを自覚。近しい親戚もいなければ、幼い頃に長岡を去ったので幼馴染もいないし、花火の爆音で壊れそうだった社宅も、跡形もない。長岡を去って、今年で40年。長岡市で生まれ育った証(あかし)が、何もないのです。


そんな時、父の実家がある新潟県胎内市の美術館で、ハワイアンキルトの個展を開いていた島田さんと知り合いました。プロジェクト代表の島田さんと私が幼少期に住んだ長岡市内の地域は違えど、長岡花火を愛する気持ちは一緒。「ハワイアンキルトで長岡花火を表現したい」という話を伺い、非常に共感しました。


そして、このプロジェクトが本格始動することを知り、「キルト男子」の第2号のボランティアとして、ヨーヨーキルト作りに参加。更に背景の夜空に刺繍まですることに・・・。「フェニックス」の刺繍がチョッと曲がっているところは、私が失敗して取り繕ったところです(汗)。


2021年7月30日の御披露目会で、除幕されて作品が全貌を現した時、「これで、ようやく僕が長岡で生まれて育った証が出来た」と思えたと共に、目頭が熱くなりました。


迫力があり、美しく輝きながらも、布の独特の優しさを持つ「長岡花火キルト」。本物の花火に負けないくらい最高の長岡花火キルトを、ホノルル市に届けるまでがプロジェクトの使命。これからも微力ながら、blog担当など、お手伝いしていきたいと思います。


おしまい。


次回以降は、プロジェクトに携わった方々に、お話を伺っていきたいと思います。どうぞ、お楽しみに。



ボランティア

長谷川 卓


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