Suguru Hasegawa
ホノルルフェスティバルを振り返ってPart2~パレードへの参加~
更新日:4月30日
※本稿は3回シリーズの2回目です。
長谷川:ホノルルフェスティバルでは急遽「長岡花火キルト」がパレードに参加したそうですね?
島田:はい。有り難いお声がけをいただいて、山田さんには様々な調整や交渉で御手数をおかけしてしまったんですが、長岡市の皆さんとカラカウア大通りをパレードしました。ただ歩くのでは勿体ないので、「長岡花火キルト」は2枚1組の作品なんですが、そのうちの1枚、8kgもの重さがあるものを私たち女性4人で持って歩きました。

長谷川:それは重かったでしょう。
島田:たった20分間でも、大変でした。
大桃:とにかく重いし、暑かったです。でも広げて下まで見せたり、道路の左右の観客の方向を向けて広げて見せたりすると、声がかかって、また声の方向に向けて見せると「ブラボー」とか歓声が上がって、たくさん写真を撮られました。
山田:私はパレードする皆さんの荷物を持ちながら沿道から写真を撮っていましたが、大桃さんも言われた通り「長岡花火キルト」が広がると「ワーッ」と歓声が上がって観客が写真を撮っていましたね。本当に「長岡花火キルト」は華やかで人気でした。
大桃:長岡市が横断幕だけだったので、鮮やかなキルトがあって良かったと思います。パレードに出たことによって認知度が高まりましたよね。

島田:とにかく本物の長岡花火が人気で、パレードのアナウンスも長岡花火の宣伝を多く行っていました。私たちがパレードしていると「あっ、コンベンションセンターに飾ってあった花火キルトだ!」と声がかかって、もの凄い人気でしたね。
長谷川:これもまた、感無量なのではないですか?
島田:私たちも最初は笑顔を振りまきながら歩いていたんですが、最後にはみんなで号泣しながら歩いていました。インスタライブで日本の関係者にも配信していたんですが、日本でも泣きながら見ているとコメントが多々あり嬉しかったです。本当にこのプロジェクトは大変だったのです。新型コロナ感染症拡大とか、それ以外にもプロジェクトを進めていく上で障害があって、何度も壁にぶち当たったけど、こうやってカラカウア大通りをパレードできて、「このプロジェクトは認められた」と感じ、嬉しかったですね。

長谷川:山田さんはいろいろと大変だったと思いますが、山田さんのご尽力があって、またメンバーの重いキルトを持って歩くという強い意志、歓声に応えるサービス精神があって、パレードが実現したと思います。その結果、「長岡」も「長岡花火キルト」も人気や認知度が上がって、良かったのではないでしょうか。
島田:山田さんには本当に感謝しかありません。本当ならば最終日コンベンションセンターでキルトの展示撤収作業後すぐにキルトは空港へ配送されることになっていたのです。いろいろな手続きを引き受けていただき心より感謝しています。山田さんもこのプロジェクトの一員ですね!
※3回目に続く。
【この記事について】
「長岡花火キルト」を御披露目した「ホノルルフェスティバル」から約1ヶ月が経ちました。今回はホノルルで感じたことなどを、当プロジェクト代表でハワイアンキルト教室を主宰している島田桃子さん、プロジェクトでリーダーを務めた地元・長岡市在住の大桃啓子さん、そしてJTB添乗員の山田大地さんに、お話を伺いました。3回シリーズでお伝えします。
1回目も、下記のリンクから是非ご覧ください。
【1回目:Part1】
ボランティア
長谷川 卓